ナショナリズムとは何か。今回は、この問いに対して考えてみようと思います。ナショナリズム(nationalism)という言葉は日本語では、国家主義、国民主義、民族主義などと訳されています。ナショナリズムという言葉が何故このように多様な呼び方をされるのかと言えば、それはこの言葉を用いる人の持つ価値観、住んでいる地域や国家などの要素が非常に多岐にわたるからです。それゆえ、ナショナリズムには多様なイメージが存在します。ナショナリズムは特別な現象ではない、と私は思います。人間は誰でも何かに所属する意識を持っているからです。ナショナリズムの起源を考えたとしても、ナショナリズムとは何かということが明らかになるわけではありません。何故なら、ナショナリズム、特に日本のナショナリズムは論理的に生み出されたものではないからです。これは、日本のナショナリズムがいわゆる反植民地ナショナリズムと大きく異なる点です。18世紀中頃から19世紀頃にかけて多くの国が植民地統治下に置かれてきたのに対し、日本は事実上、植民地支配をされませんでした。日本という国は、植民地支配に抗するためにナショナリズムを利用したわけではないのです。つまり、日本のナショナリズムは第一義的に政治的なプロパガンダではないことが大きな特徴であると私は思います。政治的なナショナリズムではないという意味で、それは文化ナショナリズムとでも言えるでしょうか。それゆえ日本は、最も純粋な形のナショナリズムが残っている国であると思います。世界には、日本のような国ばかりが存在するわけではありません。自分の国を愛したいと思う気持ちがあったとしても、純粋に自分の国のことを好きになれない人々は大勢存在します。政府が大きな借金を抱えたり、外国に戦争を仕掛けたり、失業者が町に溢れていたり、犯罪が横行していたり、人々が安心して暮らすことの出来ない条件を持っている国が、世界中には数えきれないほど存在するのです。それに対して、日本人は自然に日本のことを愛することが出来ます。日本を愛することが出来る理由は、論理的に説明できるものではありません。日本人は、日本人であるというだけで日本を愛することが出来る条件を既に持っているのです。私は、日本という国を創ってきた全ての方々に感謝する気持ちを常に持っています。そして、日本人に恥じないように胸を張って生きていかなければならないと思っています。現在、世界平和を目指すという名のもとに、アメリカの主導によって多くの戦争が仕掛けられています。この状態はおそらく、これからも続くでしょう。言うまでもなく、これらの戦争は人々の平穏な生活を脅かすものです。私は、人々の大切なものを脅かす戦争には断固反対します。何故なら私は日本を愛し、そして世界中の人々がそれぞれ自分の国や文化を愛するようになることを私は望んでいるからです。もしも現在アメリカ人が純粋にアメリカを愛することが出来るならば、アメリカは対外的な戦争を起こすことにこれほど躍起になるでしょうか。アメリカの人々は、もう昔のようには自分の国を愛することが出来ないのではないでしょうか。存在しないはずのバーチャルなお金に振り回され、リスク社会にさらされ、テロに怯えて暮らさなければならない現状にさすがに彼らも疲弊しているのではないでしょうか。もう一度自分の国の文化を見つめ直し、どのように行動すべきかを考えなければ、本当に自分の国を守ることは出来ないと私は思います。自分の国や文化を滅ぼすようなことは、何にもまして非難されるべき行為です。なぜなら私たちには、自国への愛の心を自分の子や孫に伝えていく責任があるからです。私は、自分の子や孫に対し豊かな祖国愛の心を残し、決して彼らを不安に陥れることのないようにしていきたいのです。自分や自分の国に誇りを持つことが出来れば、困難に突き当たった時にそれを乗り越えることが出来ます。私たちの先祖の方々が幾多の困難を乗り越えてきたのと同じように、私たちも困難を乗り越えなければならないし、私たちの子や孫たちにも絶対にそれを乗り越えてほしいのです。幼い頃から自然に国を愛することが出来る者は、決して排外主義に陥ることはありません。私は、自分の国を愛する心を、一人でも多くの子どもたちに伝えていかなければならないと思っています。人が人を傷つけることのない世界は、そのようにして創られていくのです。

 

新編 平和のリアリズム (岩波現代文庫)

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